トレーナー活動報告 | 松本接骨院グループ 有限会社エスティーエム |お体の痛みを改善

トレーナー活動報告

トレーナー活動経歴

2001年 トレーナー活動を開始
2002年 講道学舎・世田谷学園柔道部 専属トレーナー
2002年 流通経済大学柔道部・明治大学柔道部 専属トレーナー
2003年 世界柔道選手権(大阪) 棟田康幸選手(100kg 超級 金メダル)
2004年 アテネオリンピック 泉浩選手(-90kg 級 銀メダル)
2005年 世界柔道選手権(カイロ) 棟田康幸選手(100kg 超級 銀メダル)
泉浩選手(-90kg 級 金メダル)
2007年 世界柔道選手権(リオデジャネイロ) 棟田康幸選手(無差別級 金メダル)
2008年 北京オリンピック 泉浩選手(-90kg 級)
2008年 全日本学生柔道優勝大会 明治大学 準優勝
2008年 全日本学生柔道体重別団体優勝大会 明治大学 優勝
2009年 柔道世界選手権(ロッテルダム) 棟田康幸選手(100kg 超級)
2010年 柔道世界選手権(東京) 海老沼匡選手(-66kg 級)
中井貴裕選手(-81kg 級)
上川大樹選手(無差別級 金メダル)
2011年 世界柔道選手権(パリ) 海老沼匡選手(-66kg 級 金メダル)
中井貴裕選手(-81kg 級)
上川大樹選手(100kg 超級)
2012年 ロンドンオリンピック 海老沼匡選手(-66kg 級 銅メダル)
中井貴裕選手(-81kg 級)
上川大樹選手(100kg 超級)
2013年 世界柔道選手権(リオデジャネイロ) 海老沼匡選手(-66kg 級 金メダル)
2013年 全国高等学校総合体育大会(インターハイ) 崇徳高校 優勝
2014年 世界柔道選手権(チェリャビンスク) 海老沼匡選手(-66kg 級 金メダル)
上川大樹選手(100kg 超級)
2015年 世界柔道選手権(アスタナ) 海老沼匡選手(-66kg 級)
2016年 リオデジャネイロオリンピック 海老沼匡選手(-66kg 級 銅メダル)
2017年 全日本学生柔道優勝大会 明治大学 準優勝
2017年 全国高等学校総合体育大会(インターハイ) 崇徳高校 準優勝
2018年 世界柔道選手権(バクー) 小川雄勢選手(100kg超級)
2021年 全国高等学校総合体育大会(インターハイ) 崇徳高校 準優勝
2021年 東京オリンピック ソロモン代表選手団に帯同

 

スポーツ・トレーナーとして

スポーツ・トレーナーとして 平成17年の9月8日~11日の間、柔道の世界選手権がエジプトのカイロ・スタジアムで開催され、この時日本は金メダル3、銀5、銅3で総数11のトップでした。
中でも男子90キロ級でアテネ五輪銀メダルの泉浩選手の金メダルは圧巻でした。
初出場の泉選手が、韓国の黄禧太選手との3回戦で右腕の靭帯を負傷しながらも、決勝戦では見事一本勝ちして優勝しました。

柔道整復師・松本宗三氏は茨城・龍ケ崎市(まつもと接骨院)と東京・中野区(松本接骨院)を開業する傍ら、柔道選手のスポーツ・トレーナーとして活躍されています。

また柔道だけでなく他にも、サッカー選手、野球選手などの治療にもあたられています。
とくに柔道では、名門・世田谷学園(東京・世田谷区)、母校の流通経済大学(茨城・龍ケ崎市)の専属トレーナーとして活躍されています。泉選手が松本氏と出会ったのは、この世田谷学園柔道部の選手達が寝食を共にしている私塾、講道学舎でした。

この時の世界選手権にも泉選手、男子100キロ超級で銀メダルを獲得した棟田康幸選手らのトレーナーとして同行していました。
試合中に肘の靭帯を伸ばしてしまった泉選手が、金メダルを取ることができたその影には、トレーナーとして同行した松本氏の努力が貢献したに違いありません。

きっかけは柔道

きっかけは柔道帝京医専を平成11年に卒業した後、松本氏は6店舗を経営する接骨院グループに就職しました。
1年後にはその中の1店舗の分院長となったのです。当然そこには店舗間の競争があるので、「1番になりたい」と努力し、売り上げにも貢献しました。

その後は、「整形に就職して、ゆくゆくは実家の広島にでも帰って開業」などといった青写真を描いていました。
しかし、松本氏は、平成14年に東京・中野区で「松本接骨院」を開業しました。
当初は4人でのスタートでした。平均的に高齢者が多いごく普通の接骨院です。

ところが、あるきっかけから名門・世田谷学園柔道部のトレーナーとして活動するようになりました。
自身も柔道選手として活躍した経験があり、それを元に柔道部監督の持田治也氏が「世田谷学園の柔道部は全部任せる」と推薦してくれたのです。

その当時から活躍していた世田谷学園柔道部出身の棟田康幸、泉浩といった一流柔道選手などをみることになりました。
3年後、その実績を買われ、母校の流通経済大学・柔道部でもトレーナーとして請われました。

同大学は茨城県龍ケ崎市にあり、後輩たちが休日をつぶして東京まで治療を受けに来るようになったのですが、何しろ1時間半はかかります。
立ち上げからのスタッフが育ってきたこともあり、後輩たちのために龍ケ崎市でもう1店舗出店しようということになりました。
こうして立ち上がった龍ケ崎市の「まつもと接骨院」は、3人からのスタートでした。
この院は現在、1日100名以上の患者様が来院される院になりました。

選手としての実体験が “師”

選手としての実体験が 松本氏は自身も柔道選手として活躍してきただけに、トレーナー業に取り組む姿勢は厳しいものです。
もちろんスタッフにも厳しくします。
「厳しくないと育ちません。スタッフが辞めてしまうからといって手を抜くことはしません。耐えられなければ私のやり方にあっていなかったということです」と指導方針について語ります。

トレーナーとして一番大事なのは、「選手とのコミュニケーション」です。
「もちろん技術は優れているに越したことはありませんが、どんなにすごい治療家がいたとしても選手との信頼関係がなければ、ケアはうまくいきません」。

選手からすれば自分の身体はまさに “資本″ です。
それを自由にさせるということは、本当に心を許していないとできないことなのです。

スポーツ・トレーナーとしての松本氏の師匠というのは、どこにもいません。独自の方法です。

「柔道の現役選手だったころに、自分にしてほしかったことをしてあげようと思ったんです」というように、トレーナーには特別な技術より、もっと大事なことがありそうです。

有力選手にはトレーニングや食事など、複数のトレーナーがついていることが多いものです。
一流選手ほど自分の身体を大事にし、トレーナーに対しても「駄目なものは駄目」とはっきりとしています。
こうした厳しい目で見られる反面、一度信頼関係を築けば、頼りにされます。
信頼関係の第一歩は、まず「選手が今、どうしたいかということを先読みできること」だといいます。
選手にどうしてほしいかを問い詰めるのではなく、トレーナー側で先回りしてアプローチしていきます。

トレーナーは選手の付き人ではなく、サポートするのが仕事なのです。
常に勝たなければならないという、心理状態のケアが要求される場面もあります。
いつも万全なコンディションとはいえず、常にどこかに故障を抱える選手にとって、トレーナーは “心身の拠り所″とならなくてはなりません。まつもと接骨院は、怪我をした選手が、まず病院より先に訪ねるところです。
多くの場合は松本氏が応急処置をして、その後病院に行くように勧めています。

トレーナーとしてのもう一つのポイントは “自己管理″ だといいます。選手が試合のときに、体調が悪い」ではトレーナーとしての資格はありません。
そういう意味で、生半可な取り組み方ではできない仕事なのです。

あくまでも接骨院経営とは別

あくまでも接骨院経営とは別接骨院とトレーナー業務は、経営面では分けて考えています。
「スポーツ選手、とくに柔道選手はいろんな怪我をします。トレーナー業務をすることによって、骨折や脱臼など様々な珍しい症例を経験させてもらえるということです」。

まつもと接骨院は、外傷ができて、慢性疾患 (自由診療) もできて、トレーナーができる接骨院として注目されています。
自ずとスタッフは、現場で骨折・脱臼を診ることになり、対処できるようになります。
接骨院側にとってもメリットがあり、選手側にとってもいつでも治療を受けられるというメリットがあるのです。
「そもそもトレーナー業務というものは、怪我に対してテーピングを巻くだけではなく、選手独特の張った筋肉や、硬くなった関節を弛緩させるなどのケアをして、ベストコンディションで試合場に送り出すことなんです」といいます。

一般の慢性疾患(自由診療)の患者さんなどでも同じようなポイントで筋肉が硬くなることがあります。
どこのポイントをやれば弛緩できるかということを、選手たちから勉強させてもらいます。
それを患者さんへの施術に活かすのです。トレーナー業務は接骨院経営とは切り離して考えたほうが、接骨院スタッフの技術の向上に役立ちます。

「その経験をもとにして、一般の患者さんのいろいろな症状に対応できるようになります。要は選手たちに勉強させてもらっているということです。一流選手がどういう筋肉をしているかなども分かってきました。それにより、松本式施術法を自分なりに確立できたような気がします」と語る松本氏は、やる気のあるスタッフにはどんどんトレーナー業務に参加させています。

スポーツ選手は即効性が重要

スポーツ選手は即効性が重要接骨院の治療に関しては、手技だけに拘らず治療機器も使用しています。
微弱電流を流す機械(レボックスII)や超音波(US-750)、中周波(パートナー)など症状にあわせて使い分けています。

スポーツの種類によっても効果的な機器は違ってきます。
野球肩とか野球肘といわれるものに対しては、独自の方法により、低周波よりも奥まで届く中周波(パートナー)が効きます。

運動療法をやりながら電気を加えることで、「筋肉を弛緩させるのはかなり効果的」です。
野球部の選手たちは、走ったりボールを投げたりと長い時間練習をするので、絶えず足や肩、腰に負担がかかった状態で施術を行っていかなければなりません。
1日や2日で疲労が取れないものもあります。しかし、来院したときよりも軽く、楽にして帰ってもらうというのが接骨院の方針です。
トレーナーをやっている以上、そういう意識でないと競技の現場で選手を困らせることになります。
一般の患者さんに対しても同様に考えているといいます。

最近のスポーツ選手は、外科的手術にあまり抵抗感はありません。

「靭帯が切れたなど、どうしてもメスを入れなければならない場合、そのアフター・ケアが重要となります。私の今までの経験上、むくみを取ったり、関節の可動域の確保や、硬くなった傷口のマッサージなどが必要になります。野球のピッチャーなどは、この硬くなった傷口によって微妙なコントロールが狂ってしまうこともあります。一流選手はそれほど繊細なのです。僅かなリハビリの違いによって、選手が復帰したときには、明暗を分けることになるのです」。
それもスポーツ・トレーナーの腕次第だとしたら、選手の一生を左右する大事な役割なのです。

スタッフには徹底指導

あくまでも接骨院経営とは別意欲的なスタッフには、空き時間に手ほどきをします。
「これはどうすればよいのだろう」と具体的な疑問点には実際の施術をもって教えています。

「本当にやる気のある人間には、しっかりとした指導をしていきたいのです」というのと同様に、施術を受ける学生たちから時間外でも、「治療時間内に行けない」などと電話を受けると、「練習が終わってからでも来ていいよ」などと言うことが多いといいます。
こんな時、遅くまで練習している学生の親などから、とても感謝されているそうです。

松本氏は、自身の選手時代を振り返り、試合のときに「こういう人がいればよかったな」「こうしてほしかったな」という気持ちを思い起こしながら、トレーナー業務を進めてきました。
「トレーナーをしていて一番うれしいことは何かというと、自分の施術した選手が勝つこと」だと語ります。

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